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こじか物語 第一話「今川焼き」(全四話)

昨年末に安倍城跡からの風景を見て以来、今川氏のことを少し調べたくなりました。

と、ちょっとその前に、
今川氏だけに「今川焼」でコーヒーブレーク♪

我が家の冷凍庫に、常にストックされている市販の「今川焼」です。

送り仮名の「き」が無いので、ニ○レイの冷凍食品(5個入約250円)です。笑

そのスペックは、直径6.5cm、高さ3cm、重さ80g、182kcal。
おにぎり1個分のカロリーに相当しますので食べすぎ注意です。

一方こちらは、2/2(金)に給食のおやつで出された「ミニ今川焼き」です。

こちらは、直径5.5cm、高さ2cm、重さ40g。市販の丁度半分。
高齢者のお口のサイズとカロリーを考えると、ちょうど良いサイズです。
いや、中年の私が家で食べるおやつも、この位で良いのカモ。笑
 
最近は、松坂屋の「御座候」が有名ですが、私が小さい頃は、「新静岡センター」の地下にあったお店の「大判焼き」をよく食べました。

「御座候」は言うまでもなく「社名・商品名」ですが、「御座候」の地元(関西)では、「今川焼き」では通じない人もいるらしいです。まじ卍

全国的には「大判焼き」とか「回転焼き」とか言われますが、関東や東海地方ではもっぱら「今川焼き」と言われます。なぜでしょうか?

主に二つの説があります。
一つ目の説は、「今川氏の家紋『足利二つ引両』とデザインが似ていたから」という説。
二つ目の説は、「江戸時代、江戸の今川橋という所で売り出したから」という説。


まず、一つ目の説ですが、
【室町時代】今川氏は、足利家(北朝側)の名門なので、この『足利二つ引両』の家紋を使っています。
 
確かに、似ています・・・縦横重ね合わせて単純化したようなデザインです。

しかし、この家紋と似ていると言うだけの理由なら、「足利焼き」とか「二つ焼き」とかになるはずです。他の足利氏一門もこの家紋を使っていますし。


次に、二つ目の説ですが、
【江戸時代】「今川橋」は、地元の名主「今川善右衛門(駿河今川氏との関係は不明)」が作ったので「今川橋」と名付けられたそうです。

その橋の付近で売っていたから、誰かがそう呼んだのか、その橋の大きな恩恵を受けた店主が、今川善右衛門に敬意をはらって「今川焼き」と命名したのかもしれません。


さらに、二つ目の説の変形(私見)ですが、
江戸時代と言えば、「鎌○ぬ(構わぬ)」や「春夏冬中(商い中)」などの「判じ物(なぞなぞ)」や「なぞかけ」が流行ったことから推測しますと、

駄洒落好きの江戸っ子が、
『今川橋の焼き菓子』とかけて
『足利二つ引両』と解く。
その心は、どちらも
『今川焼き※』です。
と、言って流行ったのかもしれません。

『焼き※』・・・「焼き菓子、室町時代からの名門の今川氏が桶狭間の戦いを境に焼きが回った(衰退した)」をかけてます。

今度、おやつの時に「今川焼き」が出たら、入居者にこのウンチクを傾けて(✖️たれて)みてくださいね。

次回「こじか物語 第二話」は、「今川橋」のお話です。
お楽しみに!

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