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こじか物語 第三話「今川氏」(全四話)

今日は、鎌倉幕府滅亡後の室町時代(南北朝時代から戦国時代まで)の今川氏のお話です。

1333年 建武の新政
後醍醐天皇が武家に替わって、天皇による政権を樹立しました。

1336年 室町時代(南北朝時代)はじまる
後醍醐天皇に反発した足利尊氏が、京で光明天皇を擁立し武家政権(北朝)を開きます。
これにより、後醍醐天皇は奈良の吉野に逃れました(南朝)。
以後56年間、二つの朝廷が並存する「南北朝時代」が始まります。

1336年 今川範国が遠江国の守護に任命
1338年 駿河国の守護を兼務
ここに、守護大名「駿河今川氏」が誕生します。範国が「駿河今川氏」の「ご初代さま」です。

1405年 遠江国剥奪
ここからしばしの間、斯波(しば)氏に遠江国の守護の座を奪われます。

1467年 応仁の乱
これがきっかけで「戦国時代」に突入します。
徳川幕府が出来るまでの百数十年間、乱世が続きます。

1508年 遠江国奪還
今川氏親(義元の父)が遠江国守護に任命され、
斯波氏から遠江国を奪い返します。

1550年頃 おんな城主直虎の時代
時代劇では、主君のことを「殿!」とか「おやかたさま!」と呼んでいるシーンをよく観ますが、直虎は今川義元や氏真のことを「たいしゅさま!」と言っていました。
どのような違いがあるのでしょうか?

おやかた(屋形)」とは、「足利将軍家から『屋形』の称号を与えられた21の名門家のこと」です。
武田信玄や今川義元は「屋形」ですので「おやかたさま」ですが、
織田信長や徳川家康は「屋形」でないので「殿」です。

たいしゅ(太守)」とは、「複数国の守護を兼務している守護のこと」です。
直虎は、駿河国と遠江国の守護を兼務していた今川氏に敬意を払って「太守様」と言っていたのではないかと思います。



井伊氏は、H29.12.30「安倍城跡から」の記事で紹介した狩野氏と同様に、南北朝時代には南朝側についていたので、北朝の守護今川氏とは敵だったそうです。

ちなみにこちら、昔の教科書では「足利尊氏」とされていましたが、実は側近らしいです。

誰そ彼?

次回「こじか物語 最終話」は、いよいよクライマックスです。
なんと、今川氏と小鹿には深い関係がありました! お楽しみに。


余談ですが・・・
タイムトラベルしていると、小学生の時にテレビで見ていた「まんが日本史※」を思い出して、ノスタルジーに浸ってしまいました。

頭の中はエンディング曲、サーカスの「風のメルヘン♪」がハードリピートです。笑
寂しい曲調と歌詞は、せつない歴史のストーリーと重なりますね。

※「まんが日本史」1983.4.3~1984.4.8、毎週日曜日10:30~11:00、日本テレビで放送していました。

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